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『褒美』

 季節は冬。悪獣が冬眠期間に入り、西洋艦隊も侵攻を控える季節である。軍の出動要請も少なく、比較的穏やかな毎日が続いていた。
 そんな中、国王主催による天覧試合が開催された。来る春に起こり得る脅威に身を引き締めて備える為に、大会は実線装備の真剣を用いて行われた。
 朝早くから夕方まで、トーナメント方式の勝ち抜き戦で行われた試合の結果、並み居る強豪を退けて勝利したのは、花郎隊隊長・元述であった。
 若干16才で隊長の任に就き、17才で当代最高位の剣士を意味する『郎』の称号を得た元述に対し、国王はその天賦の才を賞賛し、更なる精進を重ねて護国の為に尽くせと自ら声を掛けた。
 大会終了後、大臣や他の将軍との会談を終えた文秀は、選手の控えの間に足を向けた。すると、テント内は自軍の連中が押しかけ、入りきれない人が入口の外に溢れていた。歓声が何度も上がり、全員が大声で笑う。元述が部隊全員から慕われているのが良く判る光景に笑みを浮かべた文秀は、褒めるのは明日でも良いと考え、身を翻した。
「文秀将軍っ!」
 自分を呼ぶ声に振り返ると、テントの中から元述が飛び出して来た。あの混雑からよくも抜け出せたものだと、妙なところで文秀は感心する。
「来て下さったのですねっ!」
「よくやったな、元述。見事な戦いだった」
「ありがとうございます! 文秀将軍の御名を辱めないよう、全力で戦いました!」
 目を輝かせているが、顔には疲労が色濃く残っている。半日にわたる果し合いで体力が消耗し、今は気力で持っているのだろう。
 筋骨隆々な男ばかりがひしめく室内で、ただでさえ体が細い元述はまるで女のように見える。元述の剣術を今まで何度も目の当たりにし、彼の才能を誰よりも信じ理解してきたというのに、目の前の少年が聚慎最高位の剣士の称号を授かった事を信じかねている。…そう。取らなければ良かったと思う気持ちが、己の中には確かに有るのだ。
「あいつらの事だ。今から祝勝会を開くんだろ?」
「あ、はい…。英實が乗り気で…」
「そうか。おい、英實!」
 室内へ呼びかけると、人の壁を掻き分けるように、英實が慌てて飛び出て来た。
「はっ! 文秀将軍っ!」
「祝うのは良いが、半日戦い続けで疲れているんだからな。ほどほどにしとけよ」
 釘を刺しながら英實に金袋を渡すと、周囲から歓声が上がった。部隊の殆どが中盤まで残ったのだが、最終戦まで勝ち抜いた元述とは疲れ具合が違う。体力が有り余っているため、自分が止めたところで、宴会が朝まで続くのは確定だ。
 元述に顔を向けると、直ぐに彼の瞳と視線が合った。英實と話している最中、彼はずっと自分を見ていたのだろう。この男はいつもそうだ。自分の前に立つ時の彼は、まるで自分を神のように崇めてでもいるかのように、言葉を余す事無く受け止めようと常に全精神を集中させている。
「明日明後日と休みだったな」
「は、はい」
「なら、明日の夜、俺とサシで飲まないか? 褒美もやりたいし」
 戦場で行動を共にしていたが、平時に個人的に交流した事は今まで一度も無かった。親睦を深めるためにも良いかと提案すると、元述の顔がパアッと光が差したように明るくなった。
「は、はいっ! 嬉しいです!」
「俺の屋敷は知ってるな。平服で来いよ」
 形の良い頭をポンと叩き、文秀はその場を去った。

 翌日の夕刻、元述は西洋酒を手に平服で屋敷を訪れた。玄関で出迎えた従者に土産を渡していると、奥から文秀が現れた。訪問の礼を行おうとした途端、文秀が腕を掴んだ。慌てる間もなく、そのまま門の外へと引っ張り出されてしまう。
「あ、あの、将軍っ!」
「美味いもの食わせてやる」
「え、あ、その…あ、ありがとうございます」
「お前、ちゃんと食ってんのか? 痩せすぎだろ?」
「あ…はい。すみません」
「謝ることじゃねぇけどよ、健康管理はきっちりしろよ」
「はい」
 戸惑いながらも文秀の後を追うと、屋敷から通り5本を隔てた場所に広がる繁華街に入った。門前の灯りに火が入れられたばかりだが、既に大勢の人間が大通りを歩いている。その中の1軒の前で、文秀は足を止めた。門は無く、入口が直接道路に面している建物は、周りと見比べると一番格式が高く見える。
「…ここは…」
「遊廓だ」
「遊廓…、…えっ?」
「お前も一人前の男になったんだから、こういう遊びも嗜まないとな」
 ニヤリと笑い、文秀は尻込みする元述の腕を掴むと、グイッと引き寄せた。足元が乱れ、ドンと胸に飛び込んで来た元述の顔は、見事に真っ赤に染まっていた。
「あの…」
「さあさあ、入った入った!」
 腕に元述を抱え込むような形で、文秀は入口の扉を開けた。
 館の主が自ら出迎えに出て、二人を楼閣の上階へと招いた。通された部屋はあまり広くは無いが、床に厚めの敷物が敷かれ、豪華な装飾が施された調度品が品良く並べられている。部屋の中央には大小様々な料理が並べられた卓が2脚置かれている。扉の近くには火鉢が置かれ、暖気が寒さに凍えた体に嬉しかった。
「ご希望のご珍味を、色々取り揃えさせていただきました」
 調理人が膳の間に鍋を置き、火を着ける。唐辛子を使っているのか、汁が真っ赤だ。
「ヘムルタンという、海の幸の辛味仕立ての鍋でございます。先日文秀さまよりお褒めをいただいたものをご用意いたしました」
「館の主人が海の方の出身でな。来る度に美味いものを食わせてくれるので、重宝しているんだ。それと、これこれ!このアワビの煮付けがすごく美味いんだ」
「お褒めに預かりまして、光栄にございます。漁師連中に申し付けて、今朝獲れたてのを持ってこさせました。魚も良いのが入っております。どんどん出していきますから、楽しんで下さい」
 薦められて下座に着くと、文秀が酒を勧めてきた。目上からの薦めは二度辞退するのが礼儀なのだが、「余計なこたぁイイんだよ。さぁ飲め!」と、かこつけ三杯を飲まされた。酒精がかなり高い酒で、元述は三杯目を飲み終えると杯を卓に置こうとしたが、文秀はそれを許さない。
「今日は、お前とトコトン飲むつもりで、朝から一滴も飲んでねぇんだぞ」
「はあ…」
「まあいいか。ほら、返杯返杯!」
 言われて、文秀の杯が酒で濡れていないのに気づき、元述は慌てて酒瓶を上げ、文秀の杯を満たした。
 それからは、店主の心尽くしの料理を、心行くまで堪能した。
 ヘムルタンは、帆立・アサリ・タコ・蟹・海老・タラなどの魚介類の他、大根・玉ねぎ・せり等の野菜を唐辛子ベースのスープで煮込んだ具だくさんの鍋だ。雑多な食材を見事にまとめている所に、料理人の腕の良さを感じさせた。真っ赤なスープを口に入れるとカッと熱くなり、体の中からポカポカと温まる。冬には最高の鍋だと、共通の意見となった。また、アワビの煮付けは宮中料理でもこれだけの味には巡り合えないとの感想も同じだった。様々な魚を刺身にしただけのシンプルな皿を出されたが、醤油と香味に付けて食べるのが極東の国特有の食べ方だと聞き、試してみた。立ち上る辛さと芳香が魚の旨みを絶妙に引き立て、これ以上の刺身の食べ方は無いと思った。その他、小皿に盛られた全ての料理を、元述は若者らしい健啖ぶりを見せて平らげた。
 食事が終わり、膳が片付けられると、入れ替わりに二人の女性が入室してきた。高く結い上げた髪に繊細な装飾が施された簪を挿し、煌びやかな織りの衣装を纏った美しい女だ。
「おお、来たか。待ちわびていたぞ」
「お呼びくださいまして、ありがとうございます、文秀さま」
 一人は文秀に、そしてもう一人は元述の横に座り、そっと酒瓶を傾けた。
「随分と久しぶりでございますなぁ…。他の店の子と楽しんでおられるのかと思うては、胸を焦がしておりましたのよ」
「悋気とは、珍しい。華夏ほどの太夫であれば、日々の客には困るまい」
「ほほ、太夫であろうが無かろうが、女は好きな殿方にこそ抱かれたいと思うのでございます」
「くくっ、可愛い奴だな」
「そちらの方は、初めてでいらっしゃいますなぁ?」
「ああ。俺が今一番大切にしている部下だ。若いが、腕は立つぞ。今日は女を教えてやりたくてな。華月、よろしく頼むぞ」
「あい、文秀さま。…お武家様、今宵はよろしゅうお頼み申し上げます」
 それぞれの相方が決まった所で、文秀は杯を伏せて立ち上がった。
「さぁて、時間は早いがそろそろ楽しむとするか」
「あれ…、文秀さまったら、お気の早いこと。でも、私は嬉しゅうございます…」
「お前も行けよ。若いから、何度も出来るだろ?」
 元述は無言のまま、更に盃を空けていた。初心者だから緊張しているのだろう。だが、元述の相方として求めた華月は、華夏に比べて華やかさこそ劣るが、包み込むような優しさで客の心を癒す事で人気の高い娼妓だ。初めての相手としてはこれ以上の相手はいない。後は彼女に任せておけば良い。
 そう考えると、文秀は久方ぶりに味わう華夏の体をグッと抱き寄せた。

 それから半刻が過ぎた頃だ。
 指技だけで華夏を達かせ、彼女の口の奉仕を楽しんでいた最中、躊躇いがちに扉が叩かれた。
「華夏姉さま…、お客さま…、申し訳ありません」
 狼狽も露な華月の声に、華夏は汗で額に纏い付く髪を指先で撫で上げながら、そっと身を起こした。合わせて文秀も上体を起こし、衣に袖を通す。
「何と無粋なこと…。文秀様、申し訳ございません。華月や、お客様に無礼でありましょう?」
 そう言いながら扉を開けた途端、恐怖を露にした華月が部屋に入り込み、全身を戦かせながら華夏に抱きついてきた。
「華夏姉さま! 私、怖いですっ!」
「落ち着きなさい、華月!」
「袖をどうした?」
 華月の衣の袖がスッパリと切れているのに、文秀はいち早く気付いた。
「判りません…。突然、こんな風に…」
「…」
「お二人が別室に行かれてから、あの方、ずっと一人でお飲みになってらして…、お部屋にお誘いしても首を振られるばかりでした。心が解けるまでと思って琵琶など弾いたりしておりましたが、余りにお酒を過ごされて、お体に悪いとお止めして、肩に手を掛けましたら、突然、衣が…」
 華月の説明を最後まで聞かずに、文秀は部屋を飛び出した。
 部屋に入ると、元述は壁際に体を寄せ、膝を抱えた格好で蹲っていた。
 床には空の酒瓶が3本転がり、床には華月の衣の切れ端と琵琶が落ちていた。
 凶器となったのは、足元に転がっている銀製の箸だろう。
「しばらく、二人にしてくれ」
 琵琶を背後の娼妓に渡すと、文秀は一人で室内に入り、扉を閉めた。
 元述の前に立ち、足先で箸を転がすと、元述の背がビクリと震えた。
「このような場で、素人相手に殺形刀を使うとは、呆れたものだ」
「…私に、触ろうとするからです」
「遊廓じゃ、裸の付き合いが基本だぜ?」
「折角お誘いくださったのに、申し訳ありません。私は朝までここで、一人で過ごします。私に構わず、将軍はどうかお楽しみ下さい…」
「お前を労う為に来たんだろうが」
 溜息を吐いて、文秀は元述の横に座った。元述は顔を上げない。娼妓に対して殺形刀を振るった事を反省しているのだろうか?
 それにしても、華夏と華月はこの芳華楼で一二を争う名妓なのだ。抱かずに返すとは、何と勿体無い事だと文秀は深々と溜息を吐いた。
「お前、女がダメなのか?」
「女というよりも…、あの花のような匂いが、気持ち悪くて…」
 その言葉で、文秀は原因に思い当たった。以前、見張り台にいた元述と個人的な会話をした時、高級石鹸の材料にする為に、赤子の時から世話をしてくれた従者を職人に殺された事を知った。人間の脂から高級石鹸を作っていたのだと聞き、それ以来、石鹸を見る度に嫌悪感が湧くのだとも言っていた(以来、彼は体を洗うのに米ぬかを使用しているとのことだ)。
「ああ、それでか。折角、娼館に来たってのに、勿体ねぇな」
「…申し訳ありません」
「でもなぁ、ずっと独り身でいるわけにもいかんだろ? 何れは女と所帯を持つんだし、今から女に慣れておけば夫婦生活も円満になるだろ?」
「心を伴わずに肌を触れ合わせるなど、私には出来ません…」
 ようやく膝から顔を上げた元述は、小さく首を振った。
「ご心配下さって、ありがとうございます。でも、私は将軍の下で働けるだけで十分幸せです」
「そう言ってくれるのは嬉しいがな、花郎は俺専用の部隊じゃない。ましてや、お前は『郎』の称号を得たし、どの将軍も欲しがる逸材だ。上層部の意向で配置転換される可能性は高いだろう。お前が個人的に希望しても、軍属である以上、命令が下れば従わなければならないしな…」
 膳の上で直立している酒瓶を引き寄せ、僅かに残っていた中身を杯に移しながら、文秀はさり気なさを作ってそう告げた。
 昨日の天覧試合において、元述の戦闘力の類まれなる高さは周知のものとなった。一人で一部隊に相当する力を目にして、全ての将軍が羨望の眼差しを自分に向けて来た。試合終了後、その内の一人が、元述を自分の部隊に配属してくれないかと声を掛けた。答えは保留にと頼んだが、自分より上の官位である彼が上層部に上申すれば、配置転換の命令が下るのは確実だ。軍の上層部には厳格な階級制度が敷かれている。命が下れば、文秀は従うしかない。
 煽った酒に苦さを感じ、文秀は杯を盆に伏せた。元述に視線を移すと、彼は身を大きく乗り出し、大きく見開いた目で自分を凝視していた。
「…褒美を下さると、おっしゃいました…」
「あ? ああ」
「褒美というのは、貰った相手が喜ぶものを与えなければ、意味が有りませんよね?」
「ん? 何だ、欲しいものがあるのか? 言ってみろ」
「…これからずっと、私が文秀将軍の下で働けるようにして下さい!」
 その望みに、素直に頷ければ良いのにと、文秀は苦笑した。
「花郎隊隊長であるお前を、俺の私兵になど出来んだろう」
「将軍のお傍にいられるなら、花郎隊でなくても構いません。私は将軍以外の指揮を受けたくありません。配置転換されるなら、隊を辞めます。称号も返上いたします。一兵卒になって、将軍の部隊に志願します。ええ、本当にそうします。絶対にしますから!」
「お前…」
 普段よりも饒舌な元述と、その発言の不穏さに驚くと同時に、文秀は冷静に状況判断を行った。
「…酔っているのか?」
「酔ってませんっ」
 顔に赤みが差していないために判らなかったが、視線がトロンと揺らめいている。不満げに唇を前に突き出す仕草から見ても、酔っているのは確実だ。
「将軍は、全く判ってませんっ」
 ガクッと音がするような勢いで、元述が俯いた。と、思ったら、突然前襟を掴まれ、ギリギリと締め上げられる。酔っ払いの行動は掴みにくい。したいようにさせようと、取り敢えずは傍観を決め込んでみた。
「大体、将軍は私を何だと思っていらっしゃるんですかっ!?」
「そりゃ、大切な部下だと思っているさ。将来有望だし、俺だって手放したいとはこれっぽっちも…」
「私はですねっ、昨日から一睡もしてないんですよっ。将軍に呼ばれたのが嬉しくて、祝賀会の最中もず~~っと上の空でっ。英實が朝まで飲むって言うのを断って、宴会を途中で抜け出して、わざわざ酒屋に行って、今日のお土産用にって一番高い酒を選んだんですよっ!」
 話がいきなりずれたなぁと思ったが、酔っ払いに反論しても無駄な事は判りきっている。
「ああ、すまなかったな。帰ったら、大切に飲むからな」
「一人で飲むおつもりですか? 西洋酒ですよ、西洋酒! 買ったら、財布の中身が空っぽになっちゃいましたよっ! 私は、一度も飲んだ事無いんですよっ!」
「判った、判った! 一緒に飲もう、な?」
 ちょっと苦しいなぁと思いながら、首の圧迫に耐えていた文秀は、元述がそのまま胸に顔を埋めて来たのに驚いた。
「サシで飲もうっておっしゃったのに…」
「女がいる方が楽しいと思ったんだよ」
「全然、楽しくありません…。二人きりが良かったのに…。楽しみにしてたのに、酷いです…」
 ブツブツと文句を言い募る元述に、思わず笑ってしまう。
(こいつは、本当に俺が好きなんだな)
 過去に男を抱いた経験が有るので、元述が自分に思慕を抱いていると判ったところで、嫌な気分はしない。寧ろ、誰にも靡かぬ美剣士と評判の元述が、一途に思っていた相手がこの自分だと思うと、優越感すら抱く文秀であった。
「お前、そんなに俺が好きなのか?」
「勿論、好きです」
「どんな風に?」
「我が軍で、将軍を厭う者など一人もおりません!」
「…じゃなくて…」
 言葉で説明するのも面倒なので、文秀は元述の顔を上向かせると、軽く口付けた。驚きに目を大きく見開いたが、元述は最後まで逃れなかった。
「こういうコトされて、どう思う?」
 髪を梳りながら尋ねると、目の下に朱が走る。
「……よく、判りま、せん…」
「じゃあ、もう一度だ…」
 顔を近づけると、元述がキュッと目蓋を閉じるのが見えた。だが、拒む様子は無い。顎を軽く下に引き唇を開かせると、更に深く唇を重ねた。
 味蕾に感じる甘さは、酒のものとは違う。もっと原始的で、官能に直接訴えかける何かが有る。それを求め、開いた歯列の間に舌を差し入れ、舌を舐めてみた。腕の中で元述の背がヒクリと震え、胸に宛てていた手が服をきつく握り締める。
「どうだ…?」
「…もう、一度…」
「ん?」
「もう一度…して下さい…」
 望まれるままに、文秀は元述に再度口付けた。
 顔を上向かせて更に口付けを深めながら、文秀は元述の衣を肩から落とし、白い首筋をそっと撫で上げた。指に吸い付くような肌理の細かさに、思わず北叟笑む。
 通常で有れば、部下に手を出すなど有り得ない。それも、女すら知らず、酔いで正気を無くしている状態の彼を性の対象にするなど、人の道に外れた行為だと思うだろう。
 だが、先刻の華夏との行為が中途半端で終わっていたため、下肢に溜まったままの熱がうねり始めていた。理性が心から分離し、本能のままに動いている。多分、自分も酒に酔っているのだろう。そして、何よりも元述の見せる表情と反応に酔い始めている。
 更に衣をずらして胸を露にし、現れたピンク色の小さな突起を指先で摘んだ。ビクンと体が跳ね上がる。その敏感さに愛しさを感じた。
「将軍…、何を…? あ、イヤ…」
 逃げようとする動きを見せたが、背に回した腕に力を込めて拘束する。戸惑いを見せる表情に笑顔を返しながら乳首を強く摩擦すると、元述の口が甘い喘ぎを零した。
「俺が好きか?」
「…あ…っ…、好きです…、大好きです…っ」
「こうされるのはどうだ?」
「ああっ!」
 下に手を伸ばし、文秀は元述の中心をグッと握り締めた。突然の刺激に、元述の体が弓なりに反り返り、悲鳴を上げた。
「ん? もう固くしてんのか?」
「イヤ…触らないで…っ!」
「先刻、心を伴わぬまま肌を触れ合わせる事は出来ないと言ったな。なら、今はどうだ?」
 手の中で、元述の欲望が更に硬度を増すのを感じ、文秀は本格的に愛撫を施し始めた。
「抱いてやるよ、元述」
 喜ぶかと思ったが、元述はいきなり激しく抗い始めた。酔っているのに力は強く、止めるためには彼の体を床に引き倒し、上から押さえ込まなければならなかった。
「どうした。何が不満なんだ?」
「…あの女の代わりは、イヤです…っ!」
「つまらない事で、焼餅焼くんじゃねぇよ。華夏は商売で俺の相手をしているんだ」
「…じゃあ、私は…?」
「恋人、になるのかな?」
「恋人?」
「ああ。恋人ならば、例え部隊が代わっても繋がっていられる。離れていても、相手の為に生き延びようと努力出来る。さて、お前はどうだ? 俺の恋人になる覚悟は有るか?」
 そう告げると、突然元述が抱きついてきた。
「…大好きです。将軍が、大好きです…っ!」
 肩に顔を埋めながら叫び、続いて泣き声が上がる。
「…でも、離れるのはイヤです! 他の部隊なんか、行きたくありません…。どうか、私を手放さないで下さい…。一生あなたに仕えますから、どうか…私を…ずっとお傍に…っ…」
「…元述」
「…助けて下さい…。胸が苦しくて、たまりません…! 今も、もう…っ…」
 小刻みに震える背を、文秀はそっと撫で上げた。ただ無心に自分の近くに有りたいと願う元述の姿に、今までとは異なる愛しさを覚える。
 しゃくり上げる元述に、何をどう告げようかと思案する。
 自分も彼を離したくは無いのだ。入隊したばかりの彼に目を掛け、強くなるために様々な助力を与え、あらゆる戦闘に重用してきた事で、彼はここまで成長した。謂わば、彼は自分の手で磨き上げた珠玉なのだ。
「元述」
 それを伝えようと、しがみ付いてくる体をそっと離し、彼の顔を覗き込む。笑顔を期待していたのだが、その顔は…真っ白だった。
「元述っ!?」
「……………っ…………気持ち、悪…」
「馬鹿野郎っ!飲み過ぎだっ!」
 その場にうずくまろうとする元述を慌てて両腕で抱き上げ、蹴破るような勢いで扉を開け、厠に向かって廊下を駆けた。便座に向かって元述を屈ませると、背後から腹部を圧迫して吐かせる。胃の内容物が空になるまで、その間文秀は元述の背を擦り続けた。
(昨夜は飲み会で完徹したらしいし、俺と飲むのが楽しみで一睡もしてないとか言ってたっけ。俺好みの酒は結構キツイし、こいつは3杯で顔を真っ赤にしてたしな…。なのに、一人で何杯空けたことやら…)
 ちり紙で口の周りの汚れを拭い取り、その場でぐったりと横たわりそうになる体を引きずって、廊下に出た。どっと疲れたが、このまま放置しておくわけにはいかない。先刻の部屋で介抱するかと考えていた時、衣擦れの音と共に華夏が近づいてきた。
「酔い覚ましの薬と、お水です」
「…迷惑を掛けたな」
「なんの。お陰で面白いものが見れました」
 白い手から丸薬を受け取り、元述の口の中に放り込む。苦味を嫌がる顔を固定し、無理矢理に水を飲ませると、元述が意識を取り戻した。その途端、微笑む華夏に向かって、いきなり指を突きつける。
「将軍は渡さないからなっ!」
 文秀は反射的に、元述の後頭部を殴りつけた。
「…黙ってねーと、もっと苦い薬を飲ませてやるぞ」
 力はそう強くは無かったはずだが、元述は顔をクシャリと歪め、泣き出してしまった。
「ごめんなさい…ごめんなさい…言うこと聞きますから、怒らないで下さい…っ」
 しゃくり上げる様子は、子供のそれだ。幼児退行まで引き起こしてしまったかと、文秀は頭を抱えた。
「…こいつを連れて帰るわ。今夜の分の花代はちゃんと払うからな」
「ほほ…。可愛らしいお人ですなぁ」
「ん?」
「やっぱり、アレは嫉妬でありましたか。先刻、あなた様に寄り添う私を見る時の、この方の目の恐ろしい事といったら…、弓で射られそうな鋭さでございました」
 女の勘の鋭さには驚くべきものがある。否、あまりにも元述を身近に感じすぎていたので、気づけなかったのだ。その間、元述がどんな思いで自分の隣に居たのかを考えると、罪悪感すら覚える。
「これをお使いになってください」
 華夏に勧められて受け取ったのは、小さな小瓶だ。
「媚薬入りの潤滑油でございます。この方、初めてでございましょう? 文秀さまの大きさでは、少々酷かと…」
「…お前、俺がこいつを抱くと思うのか?」
「何を今更。私、扉の外でお二人の様子を窺っておりましたのよ?」
「…女も知らないガキだ」
「想いに身を焦がす程には、大人でございましょう?」
「だが…」
「あれ、私の思い違いでございますか。なら、それは必要ございませんな?」
 白い手が差し出されたが、文秀は口元を歪め、袖の中に小瓶をしまいこんだ。
「……まぁ、何れ使うかも判らんしな」
「良い思い出を作って差し上げませ」
「理解力が有る女は好きだぜ」
「ここでは、そう珍しいことではありません。お酒を飲み、自分の内側を忌憚無く曝け出し、絆が深めるのは良いことです」
「また呼ぶからな」
「お待ちしております。その時は、…どうかお一人で」
 艶やかな笑みを浮かべて一礼し、華夏はその場を去って行った。
 柱に背をもたせ掛けたまま、元述はうつらうつらと夢の中に漕ぎ出している。力を無くした体を担ぎ上げ、店の男に手伝ってもらいながら背に負ぶった。口の堅さで定評が有るからこそ、この妓楼は古くから続いている。だが、客の中には自分たちの素性を知る者がいるかも知れず、彼らに自分たちの醜態を見られるのは何かと都合が悪い。
 男たちの案内で通用門から送り出され、文秀は足早に屋敷へと向かった。
「将軍…?」
 振動で目を覚ました元述が、か細い声を上げた。
「帰るぞ」
「ごめんなさい…」
「もういい。これからは、自分の酒量を考えて飲め」
 前に回された元述の手が胸の上で組み合わされ、髪に顔を埋めるのに気づいた。
「将軍の髪、フワフワしてて気持ち良いです。近所にいた大きな犬みたい…」
「はいはい。そうですか」
「良い匂いがします。ふふっ、夢みたいだ」
 何が嬉しいのか、クスクスと笑い出した。泣き上戸かと思ったら、笑い上戸の気も有るらしい。
「どうせ、明日になりゃ忘れてるくせに」
「…大好きです…」
「ありがとよ」
「将軍、大好きですよ…」
「正気に戻った時に、もう一度言ってくれ」
「正気ですよっ! 本当に大好きなんですってば。信じて下さいよっ」
「へえへえ」
「世界で一番、将軍が好きですーっ!」
「…判ったから、落ち着けっ!」
 背中でゴロゴロと猫のように懐き、大好きを連発する元述に、大通りの彼方此方から好奇の視線が向けられた。
(…もう二度と、この通りは歩けねぇな…)
 渋面を作ったつもりだったが、文秀の口元は苦笑いを止められなかった。
 元述の思いに報いる為に、自分は何を為せば良いのかを考える。
 無能な上官が元述を横から掻っ攫うならば、自分は実力で官位を上げ、再び元述を己の元に取り戻す。必ずや軍の頂点に立ち、解慕漱が王の座に就いた時には彼の御世を安寧とするために全力を尽くしてみせよう。悪獣との決戦は必ず来る。その時、全軍を指揮するのは自分であり、己の最高の駒として前線を駆けるのが元述だ。
 解慕漱を王座に就けたいと望んできたものの、身分制度の壁にぶつかり、平民出の自分はこれ以上の地位に上がるのは不可能だと心のどこかで諦めていたのかもしれない。だが、自分には失いたくないものが出来た。今まで以上の苦境に身を置いても、諦められないものが今の己には有る。解慕漱も、その手腕で太政大臣の地位にまで上ったのだ。親友に遅れを取るのは、自分のプライドが許さない。
 楽しい遊びを見つけた子供のように、心が浮き立つのを感じた。自分に初心を思い出させてくれたのが元述だと思うと、彼に対する愛しさが胸を満たしていく。
「俺も…、お前が好きだぞ、元述」
 その時、元述が沈黙しているのに気づいた。眠ってしまったのかと思い、歩調を緩める。
「…大好き、兄上ぇ…」
「…………はい?」
 さて、どうしよう?
 やる気は満々。潤滑剤まで入手した。なのに今更「兄上」扱いだと? 好きだ好きだと連呼していたのは、自分に兄の姿を投影していただけなのか?
 かなり本気になりかけていたが、ここで軌道を修正すべきなのだろうか?と考えると、己の周囲に暗雲が立ち込めるのを感じた。それでも文秀は前を向く。どんな困難な闘いも勝ち抜いてきた自分だ。ここで負けるようで、何が文秀将軍だ。
 自分が元述以上に彼を求めていることを理解させる為にも、体を繋げるのは有意義なはずだ。体術の強さに比べて、精神に脆さが有る彼の事だ。既成事実という確かな証が有れば、精神的に安定し、更に大きく成長する可能性が有るだろう。そういう理由で、ひたすら押せば良い。
 全ては屋敷に戻り、元述の酔いを完全に醒まさせてからだ。キスを戴いた以上、この体もモノにしなければ満足出来ない。中途半端に火を点けた落とし前は、必ず付けさせてやろう。
 柔軟な思考と即実行の行動力が、自分の売りである。
 背の荷物を動かさないように気を付けながら、文秀は家路への道を進んだ。

20091121脱稿
さて、続きは如何に!?

大人向けSSです

大袈裟に隠すほどのものじゃありませんが、

こちらからどうぞ!

閃輝暗点

突然、元述の顔めがけて伸びてきた指は、そのまま唇にぶつかった。

文秀は、元述の言葉を遮ろうとほんの軽く唇に触れただけだったが、意図に反して
絶大な効果があった。一瞬にして目の前の部下は押し黙り、困惑の色を浮かべる。

それまでの勢いを殺がれ、言葉を続ける意思を挫かれてしまったようだった。
かといってその指を振り払おうともせず、元述は固まっている。
「・・・・・・。」

(されるがまま、だな・・・)

この庭園は執務室のすぐ外にあり、沈黙を穏やかな陽気が包み込んでいた。
鳥の声や草木の音が混じる昼下がり、空気は温かく居心地良い。

「・・・お前の言うとおり兵士の数は不足している。しかし・・・」
諭すような静かな口調に、崩すことのできない壁のようなものを感じた。
「・・・今が叩き時なのはお前も分かっているだろう?元述。」

文秀の視線から逃れるように下を向くと、制していた指はゆっくりと離れた。

「作戦の延期は無い。・・・一人で提言しに来た度胸は褒めてやろう。だがな・・・」

太陽の光が何かに遮られて、元述の足元が翳った。
とっさに顔をあげた時、いきなり引き寄せられる強い力に、反射的に文秀の胸に
手を突っ張る形になった。

庭園の中に人が居ないか、元述は驚いて周囲を見渡す。

「この時間にここには誰も来ないだろうな。」
「将・・・軍・・・?」
「お前・・・あの程度で面食らって黙るようでは、まだ子供だと見抜かれてしまうぞ・・・?」
にやりと、意地の悪い笑みを見せられる。
「私は・・・こ、子供ではありません・・・!」
その時文秀の指が唇にそっと当てられ、今度は唇の形をなぞり始めた。
「ん・・・!」

唇の上を指が這うだけで、なんだか落ち着かない。
「固くなる必要はなかろう。」
「は、離し・・・て、くださ・・・!」
文秀がゆっくりと撫でていると、その刺激に反応して唇は血色の良い赤味を帯びた。
「いい色だな。」
「・・・・・・!」

元述は、逃げ出したい気持ちと必死に戦っている。
「なぜ恥ずかしいか、分かるか?」
文秀はからかうような表情を消した。
「・・・いいえ・・・」
鳥が飛び立つ音にさえ、元述は取り乱している。

「ここは、特別な相手にしか触れさせない場所だからだ。」
元述の耳たぶに唇が押し当てられた。
―――っ!?」

普段の距離では分からない髪の香りが掠め、触れた所が燃えるように唇の感触を伝えた。
柔らかな唇が元述を甘く噛み、感覚をおかしくしていく。
「・・・分かったか?こうやって、相手を知るために使え。」
元述の顔は紅くなって両肩にはひどく力が入り、可哀相なほどすくみ上がっていた。

いくら上官とはいえ安易に身体に触れるのはひどく礼を欠いた行為だった。
自分の領域を侵される事は、武人にとっては死に直結する。一番の非礼であり、辱めだった。
将軍がこんな風に自分を扱うことも今まで無かった。

文秀は、元述のぎこちない手を取る。一つ一つの動作を必死に目で追う元述からは普段の
冷静さは消え失せていた。
手のあちこちに、皮膚が硬くなっている場所があった。長い間剣を持つ人間に特有の指だ。
「指だけは一人前だな。」

文秀は、その細い指に唇を添えたかと思うと、口に含んだ。
一瞬、体の芯が麻痺したのかと思うほど強烈な感覚に襲われる。内側から疼くような感覚が
駆け巡り、どこにも力が入らなくなった。この感覚の名前を知らない。
「将軍、あ、の・・・・・・!」

自分の前ではすぐこんな顔になる元述を見ると、ついちょっかいを出したくなる。
真面目腐ったその顔を困らせ、動揺しているのを見るのが何だか楽しかった。性質の悪い趣味だと
自覚はあった。
「やっぱりお前は、まだ何も知らんガキだな。」
「ち、違・・・違いま・・・」
言葉に悲壮感さえ漂わせて抗議する元述を面白そうに見て
「違うというのなら、証明して見せろ。」
捕らえられていた元述の腕は急に自由にされ、促される。

「将軍、もう私をからかわないで下さい・・・私は、男ですか、ら・・・」
「男が何も知らなくては大事な時に恥をかくぞ。」
暗に、女を抱く時の話をされただけだった。別に深い意味など無いのは分かる。
軍人同士なら女の話題などありきたりだった。

しかし、自分があまりにも何の経験もないからこそ、こうして面倒をみられているだけなのだと
思い知らされる。自分自身が将軍の興味の対象ではないのだ。

開放された元述の手は少し彷徨ってから、思い詰めたように文秀の着物の襟を掴む。
「おい、そんなに必死に掴むなよ。締め上げる気か?」
そういって笑う文秀の手が腰に回ったかと思うと、ふわりと抱きしめられる。
すぐさま腕に力が込められて、元述は胸から逃げられなくなった。

温かい身体に包まれると、居たたまれなかった心に、安堵に似た感覚が湧いてくる。
色々な思考が全て吹き飛び、遠い昔の、兄の懐にいるような気持ちになった。

将軍は気まぐれだった。今日は極端に機嫌がいい。
運が良かっただけだとしても、本当は嬉しかった。
元述が正面からゆっくりと顔を近づけた、その時。

鼻先と鼻先がぶつかりあった。
途端に文秀は噴出し、弾かれたように、ゲラゲラと笑い出した。

この総司令官の出身については、それは様々な憶測が飛び交っていた。
豪商であったというものや、学者一族の出であるというもの。
酷いものになれば、賊上がりであるとか、罪人であったとか。

今、目の前で「品性」という言葉を忘れて笑い転げる上官を見て、元述は少しだけその身元を疑った。
「・・・・・・。」
「あー、笑った笑った!戦争中だってのにこんなに笑うとは思わなかったぜ。・・・ックク・・・!」
文秀は、降参したように青い芝の上に倒れて尻餅をつき、こちらを見上げた。
棒立ちのまま、真っ赤になっていた元述は、そこから自分に差し伸べられた手を見て、困惑した。

しかし迷ったのも一瞬だけだった。
手を取った瞬間、元述は強い力で引っ張られ、再び懐のなかに収められた。
「目を瞑れ。」

自然に身体が触れ合い相手に馴染むような感覚だった。それはたぶん、将軍が上手く自分を
導いたからだろう。
なにも分からないまま目を閉じて身を任せると、途方もなく優しい感触が唇に触れた。

衣擦れの音がしたかと思うと芝の上に寝かされ、上に乗られる。眩しさで色の飛んだ青空が目に
入ったが、それもすぐにふさがれた。
唇を重ね、入ってきた舌は口の中で動き回り元述の舌に絡まる。生まれて初めての感覚に素直に
反応し狼狽する元述を時折、顔を上げては満足そうに見つめた。

文秀将軍に何度も何度も、子供、と言われながら唇を奪われた。

あの時、自分は確かに子供だった。結局自分からは何もできなかった。それからずっと今日まで。
どうしてあの事が今よぎるのか、理由も分からない。
元述は満身創痍で動けなくなっていた。
戦争が、さっき終わったばかりなのは覚えている。将軍の胸で本当に子供のように声を上げて泣いた。
文秀将軍もまた前線で戦い同じ苦痛を味わったというのに、一方的に感情を露わにして甘えた自分は、
彼の前ではやはり幼いままだった。

一人呆然と、運ばれた天幕の中で虚空を見つめ、あの庭園での事が何度も浮かんだ。
極限状態をくぐり抜けて一切の感情は止まり、生きている実感が全く無いまま、ただ夢のように記憶が
巡っていた。
身体は重さを失ったかのようで何もかもがぼやけ始め、思い出だけに満たされていた。

ひょっとしたら自分はこのまま死ぬのかもしれない。
そう思った時、天幕に誰かが入ってきた。
「生きてるな?」
頬を軽く叩かれる。すると視界が冴え、意識がはっきりとしてきた。元述は朦朧としていた自分に気付く。
「だ、大丈夫です・・・」
「さっきもそう言っていたぞ、お前。」
起き上がろうとしても身体が言うことを聞かなかった。
「無理をするな、そのままでいろ。」

鎧はいつの間にか脱がされていた。快惰天の首を取ってからまだ間もない気がしたが直後のことは
曖昧で、どうやってこの宿営地まで戻ってきたのか覚えていない。
身体に応急処置が施されているのを見ると、かなり時間が経っているのかもしれなかった。

文秀は、一通り指示を飛ばしてきたようで、元述の傍らに腰を落ち着けてタバコに火をつけた。
何も言おうとせず、一息つくと、やはり同じ様に感情を止め外界を遮断するように目を閉じていた。

「・・・ん?」
指先に、柔らかな感触が当たる。元述は自分の唇をぎこちなく当てていた。

そして文秀の鎧に手をかけると、身体を這い上がろうとした。
力の全てを出し切ったあとで、体中が震えているのが伝わってくる。

さっきまで、この胸に縋って泣いていたはずだ。
自分から離れれば、途端に弱くなる子供のような奴だ。

元述を阻止するように、身体を仰向けに倒して上に覆いかぶさった。
「生意気なことしやがって。」
乾いた元述の唇はすぐに開かれて、文秀を受け入れる。

固く冷たい鎧を元述は下衣一枚で受け止めていた。
柔らかい感触が這い回るのを許していると、相手の感情に満たされる。
元述が首に腕を回すと、それに応えるように、文秀は背中に腕を回してくる。
お互いが、お互いを繋ぎとめていた。
心が息を吹き返して、瞼の奥が熱くなる。

「夜が明けたら、灘の骸を拾いに行く。お前も付き合え、元述。」

元述は腕の中で頷いた。

あとがき

涙のあとに

―鳥は地に堕ちて―

「あ…」

窓の外に何か見つけ、思わず声が漏れる。
ほんの小さな声ではあったが、文秀はそれに気付いたらしく、咥えていた煙草の火を揉み消す。

「どうした」

そう問いかければ、しなやかな指はゆっくりと窓の外を指し示した。

「…鳥が」

口唇はぽつりと言葉を紡ぐ。

「鳥?」
「はい…鳥が今…」

しかし元述の指し示す先に、鳥は一羽も居ない。
第一今は夜なのだから、鳥が飛んでいるはずもない。

「鳥がどうしたんだ?」

もう一度問いかけると、元述は俯いてしまった。
微かだが睫毛が震えている。
僅かな沈思、そしてようやく返ってきた答え。

「………力尽きて…」

それは今にも泣き出しそうな、頼りない声だった。

「…そうか」
「はい……………」

何かを堪えるような表情。
しかしそれすらも、愛しいと思う。

「元述」

ゆっくりと、壊れ物を扱うようにそっと肩を抱く。
刹那、小さく肩を震わせたが、文秀の温度を背に感じ、少しずつ力を抜いていく。

「文秀、将軍…」

力を抜ききり、体を預けたところでようやく声が出た。
元述が落ち着いたのを確認し、その瞳を手で覆い隠す。

「泣くな」
「ッ…泣いてなど…」

確かに涙は流れてはいなかったが、文秀は何かを感じ取ったようだった。

「大丈夫、俺は此処に居る」

元述の奥底にある不安を、恐怖を、消し去ることは出来なくても、和らげてやりたい。

「あ………ぅッ…う……」

ついに泣き出してしまった元述を抱き、子守り歌でも歌うかのような優しい声で言葉を紡ぐ。

「大丈夫、だから、泣くな」
「しょ…ぐん…」

子をあやすように頭を撫でていると、ふと元述が本当の子供に見えた。
幼子が泣きじゃくる姿と元述の姿が重なったのだ。
頭を撫でながら、くつくつと笑いを漏らす。

「ほんと…泣き虫だな…」
「…!笑わないで…ください…ッ」
「いや、可愛くてつい、な」
「うぅ……」

返す言葉が見つからなかったのか、元述はふいとそっぽを向いてしまった。
そんな様子もまるで子供だな、などと考えながら、己の体ごと元述の体を横たえる。

「さぁ、もう眠れ。明日も早いのだろう?」

小さなキスをひとつ、そしてそのまま再び瞳を覆い隠す。

「おやすみ、元述」
「おやすみなさい…文秀将軍…」

愛しき人に優しいおやすみのキスを。
どうか悪夢に囚われることのないように。

投稿者の懺悔

は…激しく浮きまくりな予感…!っていうか既に浮いてるかも!!
こんな素敵なお祭りなのに根暗な話で本当に申し訳ないです…orz
でも愛だけは…愛だけは…!(笑)
元述が天然+不思議ちゃんになってしまっていますがお気になさらず…
というかキスがおまけみたいな扱いになってるのは気のせい…?
き、気にしたら負けですよね!
それではここまでお読みいただきありがとうございました!
みなさんお祭り楽しんでくださいねー!

モヨさん投稿作品

心地好い風が吹いた。
見上げた空は高く、蒼く、深まりゆく季節を感じさせる。
ひとり、花郎の寮へと向かっていた元述は、突然響いた爆発音に足を止めた。
これが文秀あたりなら、清々しい気分を吹き飛ばされて、悪態のひとつも吐こうというもの。
だが、元述は黙したまま、瞬時に神経を尖らせた。
が。

「うわぁ、やったやった!」

聞こえてきた馴染みのある喚声に、形の良い眉を潜めて警戒を解く。
声の主は、英實だ。
またなにか可笑しな発明品を試して、更に失敗でもしたに違いない。
わざわざ冷やかす気もなかったが、進行方向を変えるわけにも行かず、元述はそのまま歩き続けた。
近づくにつれ夥しい煙と、それに混じるほんの少しの甘い匂いが鼻をつく。

「…英實。何をやっているんだ」
「ああ、元述か!ちょうどいい、ホラ、これ!」

声をかけると、頬を煤で黒くした英實がぽいっと何かを放って寄越した。
元述は咄嗟に受け取ったものの、触れた途端に驚いて手を離した。

「熱っ!」
「バカ、落とすなよ、もったいない」

地面に転がったのは、焦げ茶色の大きな芋。

「それはちょうどいい具合に焼けてんだから」
「…焼き芋をつくっていたのか…?」
「そう!」

得意そうに、英實は鼻の下を擦る。そのせいで、また一段と顔が黒くなった。
見回すと、集められたたくさんの落ち葉に得体の知れない四角い器具。その周囲には、炭状と化した、恐らくは元芋が転々と散らばっていた。

「焼き芋は落ち葉で焼くのが一番だろ。だから、効率よく、さらに美味しい焼き芋がつくれる機械を造ってみたんだ。たまにはこういう風情あるものもいいかと思って」
「……」
「まぁ、ちょっと失敗したが。加減も分かったし次は上手くいくさ。ほら、焦げなかった芋は絶対美味いんだから食ってみなって!」

英實はそう言いながら、転がった芋に手を伸ばす。
手袋もしていない素手だが、熱さは感じないのか、平気で拾い上げると元述に差し出した。
まだ躊躇して口元を引き結んでいる元述に、肩を竦めて見せるとぱっくりと芋を真ん中で割る。
温かな湯気と、美味しそうな甘い匂いが、あたりに漂った。

「ん。美味い!」

片方を齧って、もう片方を差し出す。
元述は今度は両の手の平でそれを受け取ると、ころころと熱を逃すために転がした。
ほっくりとした断面は、蜜を含んだような黄金色で、英實の言うとおりとても美味しそうだ。
手の平である程度熱が冷めたのを確認して、元述はそっと口を近づけた。
爪で皮を剥がし、一口実を齧る。
その途端、

「っ!!」

声にならない悲鳴を上げて、元述は顔を顰めた。
また放り投げられた焼き芋を、今度は上手くキャッチして英實は呆れたように目を瞬いた。

「なんだなんだ、元述?まだ熱がってんのか?」

涙目になって睨みつけてくる同僚に、からかい含みの声をかける。
元述は焼けた舌を差し出すと、もぐもぐと文句を言った。

「うるひゃい!らいらいあつすぎなんらっ!」
「あ~はいはい」
「楽しそうだな、ふたりとも?」

腹を抱えて笑いそうになっていた英實は、その声に振り向いて声を上げた。

「文秀将軍!」

ぎくりと元述は身体を強張らせる。とっさに火傷した舌をしまって平静を装った。

「どうかしたのか?」
「いえね。落ち葉で焼き芋を作ったんですが、元述の奴、とんでもない猫舌で舌に火傷したんですよ。せっかくの美味い芋なのに」
「ほう」

英實の説明に、文秀は唇を引き結んでいる元述へ楽しげな目を向けた。

「元述、火傷したのか?見せてみろ」
「た、大したことは、ありません」

舌が痛いのだろう、言い辛そうに答える元述の肩を、文秀は有無を言わさず引き寄せた。

「見せてみろと言っている」

繰り返される命令に、元述は仕方なく舌を差し出した。その肉色の舌先は、一部見事なまでに赤くなっていた。

「これは痛そうだな…」
「へ、平気です、こんなの舐めておけば治ります」

どうやって自分の舌を舐めるんだよ?と。
英實が至極まともな突っ込みをいれようとした、その目の前で。

「っ!?」

ぺろりと。
文秀は、差し出されたままの舌を舐め上げた。

「ム、文秀、将軍っ!?」
「舐めておけば治るんだろ?さっさと治さないと、メシを喰うにも痛いぞ」

癖のある笑みを浮かべると、文秀は真っ赤になって言葉もない元述と、違う意味で言葉もない英實にひらひらと手を振った。

「じゃ、用があるんで俺は行くわ。元述、」
「は、はい」
「痛みが引かなきゃ、いつでも俺が舐めてやる」

笑いながら、文秀は遠ざかる。
その長身を呆然と見送っていたふたりは、視界からその姿が消えてはっと我に返った。

「……」
「……」
「ち、治療、してくださったんだ!」
「…ああ、そうだな」
「おまえが変なことするから!」

変なコトしたのは俺ですか?!と言う尤もな疑問を呑み込んで、英實は黙々と後片付けを始めた。

「おい、英實…」
「さっさと帰って氷で冷やせ。痛みが引かないからって、誰かに舐めてもらうんじゃないぞ」
「だっ、誰がそんなことするかっ!!」

真っ赤になって背を向けた元述を、英實は溜息とともに見やる。
その大きな溜息を耳にして、元述は口元にそっと手を当てた。

 誰が、あのようなことをするものか。
 あんな、ディープキスのような治療…

思い返して、頭がぐらぐらするような心持ちになる。

心地好い風が吹いた。
けれど、爽やかなその風は、元述の火照りを少しも和らげはしなかった。

見上げた空は高く、蒼くーーーー

モヨさんのコメント

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