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閃輝暗点

突然、元述の顔めがけて伸びてきた指は、そのまま唇にぶつかった。

文秀は、元述の言葉を遮ろうとほんの軽く唇に触れただけだったが、意図に反して
絶大な効果があった。一瞬にして目の前の部下は押し黙り、困惑の色を浮かべる。

それまでの勢いを殺がれ、言葉を続ける意思を挫かれてしまったようだった。
かといってその指を振り払おうともせず、元述は固まっている。
「・・・・・・。」

(されるがまま、だな・・・)

この庭園は執務室のすぐ外にあり、沈黙を穏やかな陽気が包み込んでいた。
鳥の声や草木の音が混じる昼下がり、空気は温かく居心地良い。

「・・・お前の言うとおり兵士の数は不足している。しかし・・・」
諭すような静かな口調に、崩すことのできない壁のようなものを感じた。
「・・・今が叩き時なのはお前も分かっているだろう?元述。」

文秀の視線から逃れるように下を向くと、制していた指はゆっくりと離れた。

「作戦の延期は無い。・・・一人で提言しに来た度胸は褒めてやろう。だがな・・・」

太陽の光が何かに遮られて、元述の足元が翳った。
とっさに顔をあげた時、いきなり引き寄せられる強い力に、反射的に文秀の胸に
手を突っ張る形になった。

庭園の中に人が居ないか、元述は驚いて周囲を見渡す。

「この時間にここには誰も来ないだろうな。」
「将・・・軍・・・?」
「お前・・・あの程度で面食らって黙るようでは、まだ子供だと見抜かれてしまうぞ・・・?」
にやりと、意地の悪い笑みを見せられる。
「私は・・・こ、子供ではありません・・・!」
その時文秀の指が唇にそっと当てられ、今度は唇の形をなぞり始めた。
「ん・・・!」

唇の上を指が這うだけで、なんだか落ち着かない。
「固くなる必要はなかろう。」
「は、離し・・・て、くださ・・・!」
文秀がゆっくりと撫でていると、その刺激に反応して唇は血色の良い赤味を帯びた。
「いい色だな。」
「・・・・・・!」

元述は、逃げ出したい気持ちと必死に戦っている。
「なぜ恥ずかしいか、分かるか?」
文秀はからかうような表情を消した。
「・・・いいえ・・・」
鳥が飛び立つ音にさえ、元述は取り乱している。

「ここは、特別な相手にしか触れさせない場所だからだ。」
元述の耳たぶに唇が押し当てられた。
―――っ!?」

普段の距離では分からない髪の香りが掠め、触れた所が燃えるように唇の感触を伝えた。
柔らかな唇が元述を甘く噛み、感覚をおかしくしていく。
「・・・分かったか?こうやって、相手を知るために使え。」
元述の顔は紅くなって両肩にはひどく力が入り、可哀相なほどすくみ上がっていた。

いくら上官とはいえ安易に身体に触れるのはひどく礼を欠いた行為だった。
自分の領域を侵される事は、武人にとっては死に直結する。一番の非礼であり、辱めだった。
将軍がこんな風に自分を扱うことも今まで無かった。

文秀は、元述のぎこちない手を取る。一つ一つの動作を必死に目で追う元述からは普段の
冷静さは消え失せていた。
手のあちこちに、皮膚が硬くなっている場所があった。長い間剣を持つ人間に特有の指だ。
「指だけは一人前だな。」

文秀は、その細い指に唇を添えたかと思うと、口に含んだ。
一瞬、体の芯が麻痺したのかと思うほど強烈な感覚に襲われる。内側から疼くような感覚が
駆け巡り、どこにも力が入らなくなった。この感覚の名前を知らない。
「将軍、あ、の・・・・・・!」

自分の前ではすぐこんな顔になる元述を見ると、ついちょっかいを出したくなる。
真面目腐ったその顔を困らせ、動揺しているのを見るのが何だか楽しかった。性質の悪い趣味だと
自覚はあった。
「やっぱりお前は、まだ何も知らんガキだな。」
「ち、違・・・違いま・・・」
言葉に悲壮感さえ漂わせて抗議する元述を面白そうに見て
「違うというのなら、証明して見せろ。」
捕らえられていた元述の腕は急に自由にされ、促される。

「将軍、もう私をからかわないで下さい・・・私は、男ですか、ら・・・」
「男が何も知らなくては大事な時に恥をかくぞ。」
暗に、女を抱く時の話をされただけだった。別に深い意味など無いのは分かる。
軍人同士なら女の話題などありきたりだった。

しかし、自分があまりにも何の経験もないからこそ、こうして面倒をみられているだけなのだと
思い知らされる。自分自身が将軍の興味の対象ではないのだ。

開放された元述の手は少し彷徨ってから、思い詰めたように文秀の着物の襟を掴む。
「おい、そんなに必死に掴むなよ。締め上げる気か?」
そういって笑う文秀の手が腰に回ったかと思うと、ふわりと抱きしめられる。
すぐさま腕に力が込められて、元述は胸から逃げられなくなった。

温かい身体に包まれると、居たたまれなかった心に、安堵に似た感覚が湧いてくる。
色々な思考が全て吹き飛び、遠い昔の、兄の懐にいるような気持ちになった。

将軍は気まぐれだった。今日は極端に機嫌がいい。
運が良かっただけだとしても、本当は嬉しかった。
元述が正面からゆっくりと顔を近づけた、その時。

鼻先と鼻先がぶつかりあった。
途端に文秀は噴出し、弾かれたように、ゲラゲラと笑い出した。

この総司令官の出身については、それは様々な憶測が飛び交っていた。
豪商であったというものや、学者一族の出であるというもの。
酷いものになれば、賊上がりであるとか、罪人であったとか。

今、目の前で「品性」という言葉を忘れて笑い転げる上官を見て、元述は少しだけその身元を疑った。
「・・・・・・。」
「あー、笑った笑った!戦争中だってのにこんなに笑うとは思わなかったぜ。・・・ックク・・・!」
文秀は、降参したように青い芝の上に倒れて尻餅をつき、こちらを見上げた。
棒立ちのまま、真っ赤になっていた元述は、そこから自分に差し伸べられた手を見て、困惑した。

しかし迷ったのも一瞬だけだった。
手を取った瞬間、元述は強い力で引っ張られ、再び懐のなかに収められた。
「目を瞑れ。」

自然に身体が触れ合い相手に馴染むような感覚だった。それはたぶん、将軍が上手く自分を
導いたからだろう。
なにも分からないまま目を閉じて身を任せると、途方もなく優しい感触が唇に触れた。

衣擦れの音がしたかと思うと芝の上に寝かされ、上に乗られる。眩しさで色の飛んだ青空が目に
入ったが、それもすぐにふさがれた。
唇を重ね、入ってきた舌は口の中で動き回り元述の舌に絡まる。生まれて初めての感覚に素直に
反応し狼狽する元述を時折、顔を上げては満足そうに見つめた。

文秀将軍に何度も何度も、子供、と言われながら唇を奪われた。

あの時、自分は確かに子供だった。結局自分からは何もできなかった。それからずっと今日まで。
どうしてあの事が今よぎるのか、理由も分からない。
元述は満身創痍で動けなくなっていた。
戦争が、さっき終わったばかりなのは覚えている。将軍の胸で本当に子供のように声を上げて泣いた。
文秀将軍もまた前線で戦い同じ苦痛を味わったというのに、一方的に感情を露わにして甘えた自分は、
彼の前ではやはり幼いままだった。

一人呆然と、運ばれた天幕の中で虚空を見つめ、あの庭園での事が何度も浮かんだ。
極限状態をくぐり抜けて一切の感情は止まり、生きている実感が全く無いまま、ただ夢のように記憶が
巡っていた。
身体は重さを失ったかのようで何もかもがぼやけ始め、思い出だけに満たされていた。

ひょっとしたら自分はこのまま死ぬのかもしれない。
そう思った時、天幕に誰かが入ってきた。
「生きてるな?」
頬を軽く叩かれる。すると視界が冴え、意識がはっきりとしてきた。元述は朦朧としていた自分に気付く。
「だ、大丈夫です・・・」
「さっきもそう言っていたぞ、お前。」
起き上がろうとしても身体が言うことを聞かなかった。
「無理をするな、そのままでいろ。」

鎧はいつの間にか脱がされていた。快惰天の首を取ってからまだ間もない気がしたが直後のことは
曖昧で、どうやってこの宿営地まで戻ってきたのか覚えていない。
身体に応急処置が施されているのを見ると、かなり時間が経っているのかもしれなかった。

文秀は、一通り指示を飛ばしてきたようで、元述の傍らに腰を落ち着けてタバコに火をつけた。
何も言おうとせず、一息つくと、やはり同じ様に感情を止め外界を遮断するように目を閉じていた。

「・・・ん?」
指先に、柔らかな感触が当たる。元述は自分の唇をぎこちなく当てていた。

そして文秀の鎧に手をかけると、身体を這い上がろうとした。
力の全てを出し切ったあとで、体中が震えているのが伝わってくる。

さっきまで、この胸に縋って泣いていたはずだ。
自分から離れれば、途端に弱くなる子供のような奴だ。

元述を阻止するように、身体を仰向けに倒して上に覆いかぶさった。
「生意気なことしやがって。」
乾いた元述の唇はすぐに開かれて、文秀を受け入れる。

固く冷たい鎧を元述は下衣一枚で受け止めていた。
柔らかい感触が這い回るのを許していると、相手の感情に満たされる。
元述が首に腕を回すと、それに応えるように、文秀は背中に腕を回してくる。
お互いが、お互いを繋ぎとめていた。
心が息を吹き返して、瞼の奥が熱くなる。

「夜が明けたら、灘の骸を拾いに行く。お前も付き合え、元述。」

元述は腕の中で頷いた。

あとがき

コメント一覧

洸@管理人 2007年10月17日(水)23時42分 編集・削除

こんばんはーv
読み返しているうちに、チャットの時とは違う感想がまた浮かんできました。というか、連想なんですけどヘレン・ケラーを思い出した。文秀が指と唇で、元述に、恋愛言語を教えているという構図。
あとなんか、楽器のイメージが浮かんだ。元述は好い音色を奏でr
はっ、またエロイ方向に妄想が! 自粛自粛(笑)